父と母 2016 4 16

 多くの人は、神というと、
母親のような神を連想するでしょうが、
これは、神の一面にしかすぎません。
神には、「怒りと裁きの神」のように父親のような神が存在します。
 今から、2000年前、
イエスキリストに対して、こう言う人が後を絶たなかったのです。
「神を信じろというならば、神を見せろ」
 しかし、イエスキリストは、神を見せませんでした。
それは、イエスキリストの優しさのためです。
 イエスキリストというと、
痩せこけた青年のように連想するでしょうが、
これは、本当の姿ではありません。
イエスキリストの本当の姿は、巨大な光の塊です。
 実は、この巨大な光の塊を見た人がいます。
それが、パウロです。
パウロは、この巨大な光の塊を見て、
イエスキリストを信じるようになったのです。
 このような奇跡が起こり、
パウロは回心し、伝道者となるのです。
この奇跡が、パウロが世界伝道を始める「きっかけ」となったのです。
 イエスキリストですら、巨大な光の塊です。
神の大きさに見当がつくでしょう。
 もし、「神を信じろというならば、神を見せろ」という人が多いならば、
神は、どのような現れ方をするか見当がつくでしょう。
ましてや、中東を支配する神は、「怒りと裁きの神」です。
そういうわけで、イエスキリストは、神を見せませんでした。
イエスキリストは「自分一人が犠牲になれば、神の怒りを鎮めることができる」と考えたのでしょう。
 もちろん、信仰深い人が圧倒的多数ならば、
そして、その信仰が正しいならば、
神は、優しい現れ方をするでしょう。
 現代において、キリスト教への信仰が形骸化していると言われています。
そうすると、神は、厳しい現れ方をするでしょう。
























































































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